大学教育は私個人にとって最適ではないけど、社会にとって最適かもしれない

2025-10-21

大学には友達を作ったり、社会人へと自立する前の準備期間、学習したことの証明書の発行場所などの役割がありますが、学習という点だけにおいては得られる価値が費用に見合わないと高校の頃から思っていました。実際に大学に通ってみてもその意見は変わっていません。

大学でコンピュータサイエンスを勉強している中、物理的な実験を行うわけでもなく、計算資源をゴリゴリ使うわけでもなく、オンラインサービスの有料プランを授業料で支払っている分契約しているわけでもない。教科書に書いてあるような内容をひたすら学んでいく。なのになぜ「Tuition fee (授業料)」という名目で毎年何百万円もかかるのだろう。それなら自分で教科書を買って学習した方がいいじゃないか。ディスカッションが必要な場合は同志がネットで集まれば済む話じゃないのか。学習だけが目的ならその方が社会全体にとって経済合理性があるだろうと思っていました。

私個人にとって最適ではないこの仕組みですが、、今ある大学のようなシステムの方が社会全体的には合理的かもしれないと思いました。

現在頭脳労働者に求められる知識が高度化していて、そのような知識を持ち合わせた人材の数を増やさないといけない。大学に高額な授業料を払わずとも個人で勉強してその知識を獲得していく人が増えればこの需要に応えることができるかもしれない。ただ問題は個人で学習できる人が少ないこと。外部からの締切やテストのプレッシャーがなく自分を管理して自分で勉強する人がどれほどいるだろうか。少なくとも現在の頭脳労働者への需要に応えられるほどの数はいなさそう。だから強制的に学習させる場が必要となる。

また、研究者になる人たちを育成する必要もある。多くの人を大学という場所に入れることで、研究者や学問に触れさせ、将来研究者になる可能性の人たちの母集団形成をしている。そして多くの人が大学に授業料を払うことで大学で研究をしている人たちの研究費になったり、研究者になりたい大学院生や博士課程の人たちのための資金となる。

これはコンピュータサイエンスに限らず他の学問でも同じことが言えると思う。また、コンピュータサイエンスや数学のように授業を実施するのにお金がかからない専攻の人たちが理学部という箱に授業料を支払うことで、より高額な実験代がかかる生物系の人たちが同じ授業料で勉強できる。

放っておいても学習する、あるいは学習ができる個人にとっては費用対効果が悪いが、社会全体にとっては理にかなっていることも多い。それに、学習以外の側面もあるからこそ私は大学に進学したし、卒業するために在籍し続けている。

高校生の私に大学の必要性をこんなふうに説明されていたらもっと早く納得していたのかなと。